旅の記憶

自分の中の記録

縦走三日目(剱沢-阿曽原)

この日は風でフライがバタつく音で目が覚めた。
昨夜0時頃テントの外に出た時もほぼ無風だったが、いつの間にか風が出たようだ。

バッサバッサと絶え間なく音を立てるフライ。ペグなんて一本も打ってなかったので当然っちゃあ当然。
よく見るとテント自体も風でかなり傾いているようだ。こりゃあ僕が出て行ったら飛ばされるかもななんて思いつつ、ザック等重いものをなるべく風上に寄せて、まだ薄暗い中へ飛び出す。
ふと剣岳の方に目をやるといくつかの光点がちらついていた。

外に出てみると思っていたよりも風は弱く、風上のガイラインを一箇所岩に括りつけただけでかなり安定した。昨日付けておいてよかったわ。
やっぱ山だとペグダウンは必須だね・・・。これで更に風が強かったらもう手におえないよ。
とりあえず石を積んで風防を作って米を炊いた。
これまでチャリ旅中も昨日も、米を炊いている間にテントを片付けるという風にして時間短縮を図ってきたけど、もし外で調理できないほどの強風だったり、雨が降っていたらどうしようかなんて考えさせられた。

そしてやっぱり朝は寒い。しかも今朝は風もあるので体感温度は更に下がる。
まだ9月上旬だってのにもう冬じゃないか。
飯を食べていると日が出てきたが今朝はそれでも寒い。結局ウィンドブレーカー上下と手袋をしたまま歩き出した。
剣岳に近いだけあってテントを置いてサブザックで剣岳を目指すと思しき人達も見かけた。
僕もいつか登りたいものだ。
剱沢小屋で雪渓の情報を入手していざ剱沢雪渓へ。

さすがに暑くなってきたのでハードシェルはここで脱ぎ、アイゼンを装着する。
このしょぼいやつで行けるのか不安で仕方なかった。
雪渓の表面は凹凸があるので、水平になっている場所を選んで踏んでいけば階段を下っているような感じでそう難儀せずに歩けた。
途中何箇所か急な場所もあるけど、基本的になだらかに下っていくだけなので登山道より断然歩きやすい。
快晴の中ザクザクと雪を踏みしめながら下った。
 表面は固く締まっているという話だったが割りと緩いように感じた。
 ようやく長次郎谷。100年以上前に長次郎達はここを登っていき剣岳に登頂したわけだ。
どうせならここから登りたいね。
 雪渓の終点は滝になっており危ないと小屋で言われてきたが、けっこうな音が響いているのですぐに分かった。
でももしも濃いガスが立ち込めたら夏道を見つけられる自信はないかも・・・
雪渓の歩きやすさを懐かしみながら夏道を歩いて真砂沢ロッジに到着。
テン場は狭いけどなかなかいい雰囲気だ。
しばらく歩くとちょうど雪渓が崩れたばかりの場所に遭遇。ちょっと難儀して通過。
それからも川に沿って下っていく。背丈ほどの草に囲まれた中を歩いたり、梯子を昇り降りしたり、激流ぎりぎりの岸壁を歩いたりと思ったよりも疲れる。
吊り橋を渡って左へ行くといよいよ仙人新道へ入り登り返す。
 仙人新道は梯子・ロープ多数の超急登だった。高度計の数字も面白いぐらいに急上昇し、あっという間にさっきまで歩いていた剣沢の河床ははるか彼方。
両手を付いてゼーハー言いながら登っていった。ここに道を作れるならどんな斜面にでも作れるなと思った。
この区間ではほとんど写真を撮っていない辺りからも当時の自分の必死さが分かる。
標高を大分下げたせいで気温は高く、周りは木が生い茂っているので風も吹かない。
水も尽きかけて本気でヤバさを感じる。

でも悪いことばかりでは無く、美しい裏剱と三ノ窓氷河を見ることができたので精神的に少し癒やされた。
 中間地点のベンチにコースタイムで1時間45分のところを40分少々で着いてしまった。あまりの早さに偽物でないかと疑った。
この辺りからは勾配は緩み展望も効くようになる。 風も少々ひんやりしてきた。
ようやく仙人池ヒュッテも見えてきた。ただ意外と遠かった。


水がなくなり喉がカラカラだったため水をもらう。この時三ツ矢サイダーを売っているのが目に入った。
僕は迷うこと無く200円を払った。
今回の旅は人に頼らず、必要な物は全て自分で担ぎ上げ、全てを自分で対処しようと考えていたが、もうそんなことは頭からすっ飛んでいた。
とにかく冷えたサイダーが飲みたかったのだ。
 仙人池まで行き、水面に映る裏剱を眺めながら一気に流し込む。もう最高としか表現できない贅沢な瞬間だった。
ここからは下る。さっき登った分も含めて下る。

急勾配な上に大きい岩が大きくて非常に下りにくい。膝もしんどくなってきた。
途中の沢では盛大に足を滑らせて尻餅をついた。濡れた花崗岩ってあんなに滑るんだね。
すねを途中でぶつけたのもあってか、ショックで足が震え、尻からじわじわと浸水しているにも関わらずしばらく立てなかった。
これは危なかったね。
現場
勾配がちょっと緩くなると対岸に勢い良く湧き立つ蒸気が見えた。あれが仙人温泉のようだ。
そして仙人小屋に到着。ここから先に進んでしまうと阿曽原まで泊まれる場所は無い。
しかし体力的にもう少し頑張れそうだったので阿曽原まで行くことにした。万が一のために炊事用の水を汲み出発。
小屋から少し下りまた登ると仙人温泉だ。地面には硫黄がこびりつき、一帯に生暖かい空気が漂っている。近くにあった岩に触れるとかなり温かい。蒸気の勢いの良さと言い源泉はかなり高温なのだろうか。
 そこからしばらく登るとピークへ出る。これから黒部川まで一気に下っていく。

そういえば途中でこんなきのこを見つけたが、最近話題のカエンタケだろうか?
それともただのベニナギナタタケなのか。

梯子の連続で緊張する。ほんとよくもまあこんな道を開拓したものだなと感心してしまう。
しばらく下って行くと黒部第四発電所の電線が見えた。こんな山深い場所に突然巨大な人工物が現れている様は大きな違和感を覚える。しかもあの奥に巨大な発電所もあるというのだから驚きだ。
さらに少し下ると草木が茂り鬱蒼とした森になり、道は細かい九十九折となる。
 そしてついに仙人谷ダムがチラ見え!!萎えていた心も奮い立つ。

そこからも下り続け、最後に長いハシゴを降りると仙人谷ダムに到着。
美しい湖面を眺めながら歩きたいが、道はこんな感じであり足を踏み外そうものなら水面まで一直線であり気が抜けない。
 ダムの堤体に登ると関電の軌道が見えた。この前この場所に来た時とは逆の視点。

そしてなんとここからはダムの管理施設の一部が登山道となっているため自由に入ることができてしまう。こんなことはめったにないので興奮してテンション上がる。
 内部もかなり年季が入っている
うわあああ冬季歩道だあああああああああぁぁぁぁぁ
こんなとこまで歩けるなんてほんと感激
 そして軌道を渡る。懐かしいなあ。ここは相変わらず熱気がすごい。
レンズは即曇ってしまう。

あんまりのんびりしてもいられない。再び冬季歩道を通り出口へ。

外へ出ると平場が広がっており、そこに人見平宿舎が有る。随分大きい建物だ。
人の匂いのするところまで降りてきたというので油断して、少々のんびりしすぎた。
この時はこのまま水平にトラバースして阿曽原まで行けるんじゃないかと勘違いしていた。
直後に予想外の急登が現れ動揺する。100m程登って水平道に出た頃にはかなり暗くなってしまった.

この辺りもなかなかデンジャラスな箇所が有り、丸太の桟橋やワイヤーの手すりが設置されていた。
少し歩くと素掘り隧道があり、ここからヘッデンを出した。
権現峠とあるが初期はトンネルなどなかったのだろうか。
 この隧道の真ん中辺りにセンサーライトがあり、人が通り過ぎると後ろから照らすようになっている。
さっきまで後ろに全く人の気配などなかったのに、いきなり後ろから大光量の投射を受けるためかなりビビらされた。 心臓止まるかと思った。
隧道を抜けて少しすると雨がぱらついてきた。すでに辺りは真っ暗であり泣きっ面に蜂状態だ。
初めは気にせず歩いていたが、雨は微妙に強くなっていく。しかしカッパ着たほうがいいか?と思うとまた弱くなったりして決断ができず、結局ダラダラと着ないまま歩き通した。
まあ小屋は近かったし体温も高かったから。あと帽子のせいで雨の強さが分かりにくかったのもある。
気温も下がったようで吐く息は白くなり、ヘッデンの光を遮るので視界は更に悪くなる。
山でヘッデンを使うのは初めてだったが、予想以上に心細い。見える範囲が狭すぎてよほど近づかないと目印も見えないので、うっかり沢跡に入り込んでしまいそうだ。

そして一日中汗で湿っていたためか、ザックのベルトが当たる肩や腰骨のところがあせものようになりヒリヒリする。時折ザックをおんぶするように持って痛みを少しでも和らげようとあがく。

ようやく水平歩道が終わり、阿曽原への下りに入る時には雨は大分強くなっていた。
雨で岩が滑りやすくなっているので慎重に下ろうと考えるが、一刻も早くこの状況を抜けたいという気持ちが強いのでやはりどうしても体は焦ってしまう。
もうすぐそこにあるはずなのに、一向に小屋やテン場の灯が見えないのでかなり焦っていたようで、ある場所で思いっきり足を滑らせた。そのまま尻もちをつく形になって道の脇の草むらまで滑った。
どうしようもなかったが必死に脇の草を鷲掴みにしていたことは覚えている。
幸いそんなに落ちるような場所でもなかったので大事には至らず、地面についた右手の小指が少々痛むだけですんだ。
しかし危なかった。本来ならこういう時ほど冷静になるべきだったのだろう。
その転んだ地点から1、2m進むと小屋の灯が見えたのは可笑しかった。
ようやく安堵して小屋まで下って行き受付を済ませる。
怒られるかと思ったが剱沢から来たと言ったらむしろ感心されて、温泉代をタダにしてくれた。
剱沢から来る人は相当稀なようだ。

受付をしている間に雨はほとんど止んでいた。テン場は小屋から少し下りたところにある。
この日テン泊をしたのは僕だけであった。テントを張るとまず温泉へ向かった。
テン場から5分ほど下っていくと、自分の吐息によるものではない真っ白な蒸気に視界を奪われた。
そこが浴槽であった。
服を脱いで浴槽に入ると温泉の温もりが体に染み渡る。この気持ちよさはこれまで入ってきた温泉ベスト3に入るレベル。
空にはまだ雲が出ていたので月明かりもなかったが、周囲の山や木々の輪郭ぐらいはかろうじて判別できた。
人工光の一切見えない真っ暗闇の中一人で浸かる風呂というのもなかなか悪くはないと思った。
でもやっぱり明るいうちに入りたかった・・・ 。
気温は低く、あがって濡れた服を着るとなかなか寒かった。湯冷めするんじゃないかと心配したが、またテン場まで登らなければならないのでいい塩梅に体が温まり調度良かった。

 頑張った自分へのご褒美として今夜はカツカレー。ちょっとしょぼすぎて悲しくなってきた。
ラジオから流れていたモーツァルトチェンバロの曲が妙に印象に残る夜だった。
そういえばここまで下りてくると蚊も出てきて鬱陶しかった。
味噌汁に飽きてきたのでコンソメスープでコッヘルを洗ってみたが、それだけの変化でもでかなり新鮮に感じ美味しかった。

22時頃寝る。